彼方に富士山を望む秋晴れの諏訪湖のほとり。正午の鐘がこだますると、客の来店に店内もにわかに活気づきます。オープンデッキに広がるガーデンパラソルの下では、子連れの若い母親たちやサラリーマンがランチタイムをくつろいでいます。室内にはアンティーク調のインテリアがちりばめられ、若手に交じってシニアのスタッフも黒のギャルソンエプロンにグリーンのキャップ姿で客の応対に慌ただしい。もし、カフェの正面から視線を外し、“宅老所”という文字を看板に見つけなければ、見た目も中身もただのカフェである。毎週火曜の定休日、いつものカフェ食堂は宅老所に通う高齢者が働く『ぐらんまんまカフェ』になります。
地元の若者たちが開いた宅老所“和が家”。その人らしく地域で最期を迎えられるために、とこだわったのが“食”でした。宅老所の1階フロアにはオープンキッチンが設置され、宅老所の利用者は昼食の献立をスタッフと一緒に自分たちで作ります。体のあちこちが不自由でも生かせる能力は山ほどある。生きるとは食べること。もちろん無理強いはしないけれど、みんなで一緒に作るのは何より楽しい。
ほとんどデザイナーまかせです、という建物には、どこを探しても“介護”のイメージは見つからない。棟続きのカフェスペースは、普段は一般の(といってもかなり洒落ているが)カフェとして営業し、定休の火曜日に開かれる『ぐらんまんまカフェ』では宅老所を利用する高齢者がカフェのスタッフへ変身します。宅老所のキッチンで高齢者も調理に加わった献立がメニューに並び、客席への配膳も高齢者スタッフの仕事。だが、その高齢者が認知症患者だと感じることはほとんどないだろう。自分自身がステレオタイプな認知症のイメージにとらわれていたことに気づかされた。“作りたいのはコミュニティ”と話すスタッフさん。歳をとっても、たとえ認知症になっても、地域に還元できるものがある。
カフェのカウンターの横にシニアの男性が座っています。料理の準備が整うと、さりげなくスタッフが寄り添いながら、男性はランチをテーブルへ運びます。おとなしい表情も、客との会話に笑顔がほころびます。そしてまたカウンター横の椅子へと戻り、次のオーダーを待っている。建物内を拝見させていただいた際、宅老所とカフェの間仕切りを指差してつぶやいたスタッフさんの一言が心に響いた。
「いつかはこの壁を取り払いたいんです」
定休の火曜日、いつものカフェは『ぐらんまんまカフェ』になります。
地域の様々な方が集まる明るいオープンデッキ。
宅老所のキッチン。高齢者も一緒に作った献立が『ぐらんまんまカフェ』のテーブルに並びます。カフェの日は準備に慌ただしく、昼食は“ひと仕事”終えてから。ゆったりとした空気にちょっぴり充実感も感じられる午後でした。